2012年11月12日月曜日

釣の移り変わり




沖縄の移り変わり
 先日、倉庫の中を整理していたら写真の茶碗入れが出てきた。よくみると「730 ナナ・サン・マル」のシールが貼られている。このシールを見て何のシールか直ぐ解る方はおそらく45歳以上の沖縄の方だと思う。沖縄は終戦直後から1972年に日本に復帰するまでアメリカの施政権下に置かれた。その間自動車の通行はアメリカ本土と同じく右側通行であった。復帰してからも6年間は右側通行であったが、1978年7月30日をもって現行の左側通行に変わった。このシールは1978年7月30日から交通方法が変わります、という告知のシールである。前日の7月29日午後10時から沖縄全県下で交通止めを行い、交通区分や交通標識、信号など一斉に変え、翌日の7月30日午前6時からは全道路左側通行になった。沖縄県にとっても私自身にとっても大イベントであった。私は当時東京に住んでいたのだが、この歴史的変更を直接見るために沖縄に帰り、浦添市の陸橋の上から国道58号線が左側通行になるのを見ていた。
 「730」でバスも反対側の乗降口になったので、左側ハンドルのバスは中国や東南アジアの国々に売却されたと聞いていたが、以前ベトナムを旅行した時、会社名もそのままで現役で走っているのを見て懐かしくなった覚えがある。
 「730」だけでなく沖縄はこれまで大きな世変わりが何度かあった。通貨も3回変更された。私が記憶している最初の通貨は「B円」である。米軍発行の軍票である。その次が1958年から流通した「ドル」である。「B円」から「ドル」への変更は幼心にも強く記憶に残っている。変更の当日「ドル」が来るということで、通貨の交換所になっていた村役場の近くへ友達と一緒に見物に行った。護衛のジープと共に「GMC」(米軍のトラック)で「ドル」が運ばれてきたが、トラックの荷台には銃をもったMP(米軍警察)が緊張した顔をして何名も乗っていたので、怖くなって家へ逃げ帰ったことを覚えている。そして復帰時には現行の「円」に変わった。
 又、復帰した1972年5月15日までは他府県に行く場合もパスポートが必要であった。私も大学を受験するため72年の 2月東京へ行ったのだが、羽田空港でパスポートを提示し入国審査を受けた。おそらく最後のパスポート世代だろう。
 終戦直後の混乱、施政権の変更=政府の変更、パスポート、「B円」、「ドル」、「円」の通貨の変更、「730」の交通方法の変更、復帰に伴う様々な混乱
・・・・・・・。私の祖母、父や母も含め、沖縄の人たちはよくその変化に対応してきたものと思う。
 今、同じ様な事が全国的に行われたら日本の国はどう言う事になるのだろうか。


釣りの移り変わり
 私が釣りを始めたのが何歳頃だったのかはっきりした記憶はない。小学校の時はもう釣りをしていた。当時はセメント袋や麻袋に使われていた綿糸をほぐして道糸として使い、針を直結し、おもりの代わりに硬い石を結び、竿を使わずそれを振り回して投げる、というきわめてシンプルな釣であった。少し高学年になるとチンブクと言う竹を自分で川から取ってきて乾燥させ、火であぶってゆがみを直した手作りの竹竿を使っていた。リールはなく、綿糸を道糸にし、適度な長さで竿先に結んで、余った綿糸は竹竿に巻きつけ長さを調整していた。ナイロンハリスやおもり、針、サルカンなどは共同売店で売っていたのだが、子供には高価な物だった。ナイロン糸は1ヒロ(約1m50cm)ごと、針やおもりは1個ごとの販売であった。だからとても大事に使っていて針先は鈍くなると砥石で磨き、沈み根に掛かったりすると潜って取りに行っていた。一番良いエサはアーマン(ヤドカリ)であったが、アーマンが無い場合はミミズや護岸の壁沿いにいるふな虫をとってエサにしていた。釣道具を買うためのお金は、空き瓶やくず鉄を拾ってそれを売って稼いでいた。時には祖母と山から薪を取ってきて共同売店に売っていたが、それが一番お金になった。薪一束10セントだったような気がする。
 竹竿は学校へ行く途中のマングローブの中や藪の中に隠しておいて、学校が終わるとそのままエサを確保し河口や海に釣に行っていた。魚は良く釣れた。河口近くではヤマトビー(イッテンフエダイ)やクワガナー(コトヒキ)、海沿いではガーラの幼魚(メッキ)がよく釣れた。それを学校帰りのお土産として家に持って帰ると祖母や母が喜んでくれた。
 私は台風も好きであった。幼稚園の頃の住宅はかやぶき屋根で、台風が来るたびに近所の瓦屋根の家へ避難していたのだが、小学校に入った頃はコンクリート造りの住宅になっていて、台風自体の怖さはあまり無かった。それよりも台風が通過した後朝早く海に行くと、台風の波でサンゴ礁に打ちつけらて弱った魚が砂浜に打ち上げられ、それを拾いに行くのがとても楽しかった。そして時には波に浚われた砂浜の下から、沖縄戦の時に使われた銃弾や薬きょうが出てくることがあった。それを見つけた時はとても嬉しかった。銃弾や薬きょうは真鍮でできていて、鉄などに比べるととても高く売れたからである。今でも台風が来ると大丈夫だろうかと言う心配と同時に、すこしわくわくする気持ちになる。
 中学生になると部活や学校の行事に追われ釣りに行く機会も減ったが、時々親戚のおじさんや友達と夜釣に行っていた。その頃はおじさんからもらったグラスファイバー製の竿やリールもあり、エサもサンマの切り身が多かった。釣り方はエサをつけて投げるだけのぶっこみ釣がほとんどであった。釣れるまでの間は砂浜に横になって夜空を見ていたのだが、夏の砂浜は冷たくて気持ちがいいのでそのまま寝てしまうこともあった。又、休みの日などは、さんご礁のヤトゥとよばれる深いホールみたいな所で、竿は使わず、泳ぎながら釣り糸をあやつり、魚を見ながら釣る泳ぎ釣りもよくやっていた。今も時々泳ぎ釣りをしていたヤトゥで泳ぐのだが、釣れそうな魚はほとんど見えない。
 中学校の時は学校の行事として毎年潮干狩りがあり、サンゴ礁に渡って釣りをしたりサザエなどの貝拾いをしたのだが、先生も生徒も夢中になって楽しんでいた。今でも私の母校では父兄も一緒になって潮干狩りが行われている。いつまでも続けてほしいと思う。私も孫達と一緒に潮干狩りに行きたい。

 以上、沖縄の移り変わりと共に、変わってきた釣りの方法や道具を少し紹介したが、沖縄の海が好きである事、その海で釣りをするのが好きである事は子供の頃からまったく変わっていない。いつまでもこの海が変わらずに残っていてほしいと心から思う。



 


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2012年11月5日月曜日

”12 釣果  10月

  東村慶佐次のマングローブ。今月は修学旅行のピーク

不調・・・・・・・

10月は体調、釣況共に不調であった。
体調
10月26日ガーラを釣り上げ家で捌き終わった後、少しだるくて休んでいたら急に身体が震えだした。熱を測ったら38℃。これは風邪だと思い風邪薬を飲んで休んでいたが、夕方になっても熱は下がるどころか39℃を超えてしまった。少しおかしいと思い救急病院で診てもらったら即入院することになった。どうやら風邪ではなく別の菌が身体に入ったのが原因らしい。それから8日間入院することになった。ガーラの恨みか。

釣況
10月は毎年ガーラ釣りのピーク。ミーニシ(新西。新しい冬の北風)がふき始め、各地で運動会が開催されるとガーラも暴れ始める。これまでの釣果も10月、11月が一番良かった。しかし・・・・・・・・
今年は全く不調である。ガーラはいつも通り暴れているのだが、なかなかヒットしない。またヒットしてもばらしが多い。釣果には掲載していないがヒットして後ばらしたものもかなりあった。
何が不調の原因だろう。自分なりに考えてみた。
(1)針(フック)が小さかった。夏のガーラは比較的小さかったのでルアーも針もミジュンに合わせ小さめ(針 4番)にしていたのだが、10月の始めごろまではそのまま使っていた。
(2)9月に東京で買ってきた色々のルアーを試していたが、よくヒットするルアーが解らずいつも試し釣状態であった。結局前から良く使っているルアーに戻った。
(3)キャスティングがおかしくなっていた。狙っているポイントから左側にずれる傾向があったので自分自身で色々調べてみたら、以前より少し横投げ(サイドスロー気味)になっていた。野球のピッチャーで言うと腕が下がる状態である。この投げ方は楽な投げ方なので気がつかずにそうなってしまう場合がある。以前にも同じような事があった。
(4)リトリーブの速さが依然と変わっている気がする。私はどちらかと言えばスローピッチが多い。それなりの理由があるのだが、あまり遅いとガーラに見切られるので適度な速さのピッチが必要である。しかし今のピッチはどうも見切られている気がする。擦れ掛り多いのはそのせいではないだろうか。
(5)ガーラの恨み。

以上、色々考えてみたのだがまだ解らない。


10月9日
GT(ロウニンアジ)ばらし 夕方 AP
いつものポイントに少し遅めに入った。ミジュンが出て行くまではまだ少し時間があるので浜辺でガーラをを待っていたら、護岸近くでいきなり大きな奴が背びれを見せドボーン。GTだ。近くにいた釣り仲間に聞いたらやっぱりそうらしい。これを狙わない訳にはいかない。急いでいつも車に乗せているGT用タックルを準備し、ルアーを選んだ。先日東京の中古釣具屋さんで購入したGT用としては比較的小型のルアーをセットした。ミジュンに近いサイズである。しかし、新品で太めのフックなのはいいが針先がどうも鈍い様な気がしていた。まあーそれでも初めて使うわけだし試してみてから変えてもいいか、とそのままキャスト。久しぶりのGT用タックルで少し心がウキウキしていた。4~5回目位の時軽くあたりがあった。カマスだろう。それから数回キャスト・・・・・・。突然ガツーン。来た!!!!!。思いきり合わせを3回入れる。ギー・・・・・・。かなり強めに締めているドラッグだがラインがどんどん出て行く。ロッドの底を腹に当て両手でロッドを支える。それでものされそうになる。よーしやったー、完全に乗った!!!!!。リールが気持ちいい音をたてている。ラインが50m位出た。
フワッ。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。フックが外れた。うそ、うそ、うそ。ガクン。うそだろう。暫らくして隣で見ていた高校生ルアーマンが小さな声で「大きかったですね」。なにも答える気がしなかった。ちくしょう、やっぱりフックを変えとけばよかった。「わたしばかよねー、おばかさんよねー。」
この投稿は釣り場から戻ってきてすぐ載せている。この悔しさを忘れないために。
よーし明日から又勝負だ。でも明日からはルアーマンも大物ロッドも多くなるだろうなー。

10月15日











オニヒラアジ  57cm 1,9㎏  早朝  AP
本当に久しぶりのガーラである。10月に入って、ぼうず、ばらしの連続。この日の朝もどうせ釣れないだろうと思いながら日々の習慣で釣り場へ行った。案の定ミジュン通勤時にはカマスやヤマトビー(イッテンフエダイ)は釣れるもののガーラの気配は全くなし。それでも一緒に来ていたKさんがまだ出勤までには時間があるとの事で浜辺付近で一緒にキャスティング。ミジュンがこつこつルアーにあたる感じはあるが騒ぐ気配はない。しばらく休んだ後、何回かキャストしたら帰ろうと思いながら再度キャスト。そしたら1発目でガツン、ヒットした。欲がない時は釣れるなー。
10月26日









オニヒラアジ 68cm  3,2㎏  早朝  AP
10月の中旬頃までは朝のミジュン通勤時にはガーラが暴れなかったのだが、ここ数日ガーラが入り始めていた。前日もルアーにかすっていたので期待して行ったらガツン、来ました。久しぶりに手ごたえのある引きで、首を振るのもびんびんとさお先に伝わってきた。なかなかてこずりましたが上げてみるとやっぱり擦れ掛りでした。今月は「久しぶり」が多いのであるが本当に久しぶりにてごたえのある引きでした。
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