2013年5月30日木曜日

母の法要

過日、母の七七日忌の法要を無事営むことが出来ました。
告別式、法事にご会葬いただきました皆様には心より御礼申し上げます。

告別式から七七日忌までの間、私達家族が思っていたよりもはるかに多くの皆様にご会葬いただきました。あらためて母の大きさを知りました。

四十九日間あった法要の内装が取り払われ、母の遺影が仏壇に上げられると本当に母がこの世に居ないんだと言う実感がこみ上げてきて、寂しさでいっぱいになりました。どういうかたちでもやっぱり生きていてほしいと思いました。

母は戦前、戦後を通して看護師、公衆衛生看護師、助産師として地域の医療に従事してきました。
特に助産師としては、僅か2,000名程の人口の村で、580名余の子供達を一人の死産もなく取り上げて来ました。子供達の名前もほとんど覚えていて、一人々の成長を自分のことのように楽しみにしていました。道路が整備されていない頃は片手に松明、もう一方の手にハブよけの棒を持って何キロも歩いてお産に行ったり、生活に困っている方からは分娩費用をいただかないだけでなく、無料でミルクを持って行く事もあったようです。その活動が話題になり、テレビで1時間の特別番組として放送されたこともありました。この度の法要でも当時の話しをしながら「お世話になりました」と遺影の前で涙を流していらっしゃる方々も何名かいらっしゃいました。

昨年の秋、母の誕生日プレゼントとして家族皆で母の本を作成しました。母のこれまでの歴史と家族一人々からの思いを手記にした本です。母の名前である「幸」からとって『ここに「幸」あり』と言うタイトルをつけました。


この本の作成から、告別式、七七日忌の法要まで兄弟、子供、孫達が本当に皆で協力し合って執り行ってきました。母に対する思いと家族の絆の強さをあらためて感じました。

通夜の夜、母が寂しがるかと思い添い寝をしようとしていたら、妹や孫達も母と一緒に寝たいといって孫3名を含め6名で一晩を過ごしました。母にとってみれば狭くて寝苦しかったかもしれませんが、孫達のおばーちゃんへの思いをおもわぬ形で気付かされました。
又、これまで家族と音信が途絶えていた姪も告別式、七七日忌に帰ってきました。色々な事情があってなかなか帰ってこれなかったと思いますが、これからはもっと気楽に帰ってこれると思います。これもおばーちゃん(母)の力だと思います。

七七日忌(四十九日)の法要も終わり、私達家族もこれから又普段の生活に戻っていきます。しかし、この本の最後の文章にあるように、私達もいつまでも母の徳を忘れず、そして幸せな人生が送れるよう、さらに努力して行こうとあらためて思いました。

『ここに「幸」がずっとありますように。』









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